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平成27年5月26日
「三歳の孩児も道(い)い得ると雖も、八十の老人も行ない得ず」『伝灯録』
唐の白楽天が鳥窠(ちょうか)道林という禅僧に、「仏教とはどのような教えですか」と尋ねると、鳥窠和尚が、「どんなことであれ悪いことはしてはならない。できる限り善いことをしなければいけない。そうすればおのずから心は浄くなる。これが仏たちの教えだ」と答えられた。白楽天は「そんなことだったら、小さな子供でも知っていることでしょう」と詰(なじ)ると、「三歳の子供でも知っていることを、八十の老人でさえ行なうことが難しいのだ」と言われた。綺麗な廊下に紙屑が落ちていたとしましょう。どんな人でもそれを見れば、拾ってゴミ箱にいれようかという気持ちが起こります。人間というものには生まれつき、仏のような素晴らしい心が具わっているからです。ところが心の中で、「自分がしなくても、誰かがするだろう」という悪魔の声がして、せっかくの仏心が踏みにじられてしまうのであります。だからわれわれはそういう悪心に負けないように、最初起こった気持ちのままに行動すればいいのです。そう言われても、何となく気恥ずかしいまま通り過ごしてしまうのが、人情というものかも知れません。 電車に乗って、ようやくの思いで空席を見つけ、ホッとして坐っていると、次の駅で老人が乗ってきて傍に立ったとする。代わってあげるべきだという気持ちは、どんな人にでも具わっています。だから立たないで居眠りの振りをするのは心苦しい。にもかかわらずすっと素直に立てないというのは、何という悲しい人間の性であろうか・・・
大本山方広寺派宗務総長の職を四年間つつがなく終えることが出来ました。檀信徒の皆様方には、温かいご支援を頂きありがとうございました。その間、副住職は瑞応寺をしっかり支えてくれ逞しくなりました。
一昨年暮れから着工した書院・庫裡ですが、消防法が厳しくて中々完成に至りません。昨年暮れから生活はしておりますが、庫裡と書院がつながらず御迷惑をお掛けしております。消防署に顔の利く方が居られましたら宜しくお願い致します。
書院・庫裡が建てられ一新し風格がでた瑞応寺
平成26年夏期講座
書院大玄関
川勝知事方広寺へ恭敬訪問
平成26年5月10日
大本山方広寺の講社(寺務所)に『和顔愛語』(わげんあいご)という足利紫山管長が揮毫された扁額が掛かっております。「無量寿経」や「阿弥陀経」などに出てくる言葉ですが、愛語というのは言葉を飾った表面的なものでなく、心のこもったところから発せられた言葉であれば、おのずとなごやかな顔となり、それが相手に伝わるというものでしょう。愛語というのは、相手をいつくしみ、思いやる心をもつことであり、その心をもって発せられた言葉ですから、昨年話題になった「おもてなし」という言葉も、愛語が重要なことは申すまでもありません。そこには乱暴で怒りに満ちた言葉が認められるはずはありません。
純粋無垢な赤ちゃんを見ると思わず「バア!」と声を掛けたくなるものですが、ましてや自分の孫に接したときには、本当に目に入れても痛くない心になります。そんな自分に思いを返して、相手に言葉をかけたいものです。
仏教には、言語行為に「二枚舌の禁止(不両舌・離間語)」というのがあります。もともとは、ある人がAの前ではBが悪口を言っているといい、一方Bの前ではAが悪口を言っているといって、二人の仲を裂くような行為をいいます。二枚舌は前後矛盾した言葉です。
愛語とは目の前で褒めて人を喜ばせるのも大切であるが、その人のいないところでも褒めてあげると、心に深く刻まれて忘れません。他人を思いやる言葉は単にその人を褒めるだけでなく、人の心をも変えさせる力になり得ると思います。
完成した納骨堂兼永代供養堂
二月二日大般若祈祷供養
三月二十六日研修旅行で一休寺を参拝致しました
平成25年5月28日
日本語の中には外国語には訳しにくい、素晴らしい言葉がたくさんあります。外国語に訳しにくいということは、日本人の持つ独特の心情を表している言葉と言えます。その一つが「おかげさま」です。「お元気ですか?」「はい、おかげさまで」と、年輩の方ならこの「おかげさま」という言葉をよく使いますが、昨今若い方はあまり使わなくなってしまったようです。「おかげさま」「もったいない」「ありがたい」などという古来日本人が大切にしてきた、素晴らしい言葉が死語になりつつあるそうです。
「おかげさま」を漢字で書くと「御陰様」となります。この三文字の漢字の中で意味のある漢字は「陰」だけです。「御」も「様」も陰を丁寧に言うために付けた字です。つまり「おかげさま」とは陰に隠れて見えにくいもの、根本にあるものに感謝するということです。
私たちは形に現れているものや結果に心を奪われやすいのですが、今あることのその元は何であるかということを考え、陰に隠れて見えにくいもの、しかし無くてはならないものに感謝の心を持つことが大切です。
さて住職ですが本山の任に就いて二年余が経ちました。皆さまには不在がちでご迷惑をおかけ致しておりますが、「おかげさま」で副住職が住職以上に頑張ってくれておりますので助かります。その副住職に三月九日、瑞応寺十八代予定者の長男が誕生し「響」(ひびき)と名付けました。副住職共々宜しくお願い致します。また住職にはこの度、本山での功績が認められ管長猊下より緋(ひ)の衣を着られる「一等教師」の位を賜りました事を合わせてお知らせ致します。
大本山方広寺では十月一日より奥山半僧坊大権現さまの十五年に一度のご開帳を実施致します。方広寺派各寺院ではこのご開帳供養と一畑薬師の日帰り参拝旅行を企画しております。いずれご案内致しますがこの機会にご参拝されるようお勧め申し上げます。
檀信徒研修旅行 於京都清水寺
檀信徒研修旅行 於京都大徳寺
一等教師認定授与於方広寺
響ですヨロシクね
平成24年5月30日
緑に深みが増し、暖かくなってまいりました。瑞応寺落慶式から三年が経ち本堂の柱も落ち着いた色になってまいりました。昨年度は、東日本の復興義援金にご協力を頂き誠にありがとうございました。三月に住職、副住職共に東日本大震災一周忌法要へ行ってまいりました。
今回の大震災は、豊かになりすぎた日本が昔を思い出す良い機会になったような気が致します。豊かになればその分不幸も多くなる。今後の日本のあり方に様々な問題を投げかけたと思います。もっとも大きな問題はエネルギー政策だと言えるでしょう。電化電化で快適な生活をしていますが、電気が来なければご飯ひとつ炊けない不自由な生活になってしまう。
生物学者の養老孟司先生が講演で言っておりました。自分の持っているエネルギーを1とした場合、日本人は40倍のエネルギーを消費している。アメリカ人に至っては200倍の消費をしている。これらのエネルギーは石油・ガス・原発に依存している。依存度が高いほど自己を低くしている。自己を高めるにはエネルギー依存を少なくすれば自分の存在感は高まる。まさにその通りであります。昔の生活には中々戻れないが、質素倹約、始末することは自覚すれば出来ると思います。
総会でお話し致しましたが、昨年十月八日に副住職が結婚式を挙げ嫁を迎えました。法務等の受付を致しますので、皆さま宜しくお願い申し上げます。二月五日、昨年に引き続き大般若供養の後、節分まつり豆まきを挙行致しました。お餅やお菓子を沢山拾って帰りました。
五月九~十日には役員研修旅行で富山県の臨済宗大本山国泰寺へお詣りに行ってまいりました。
平成23年5月28日
このたびの東日本大震災によりたくさんの方々の生命が失われたことに心より哀悼意を表したく存じます。併せて、被災された方々の一日でも早い復興を祈念致しております。
大本山方広寺においては、三月五日に本堂改修の落慶法要が厳修されました。檀信徒の皆さまには尊いご支援を頂き有難うございました。
私ごとでありますが、方広寺派末寺寺院からの推薦を受け、本年四月一日付けにて大本山方広寺派の宗務総理の任を仰せつかり方広寺に登山しております。任期四年ということで住職不在が多くなるため檀信徒の皆さまにはご迷惑をかける場合が有るやもしれませんが、副住職が頑張っておりますのでご容赦願います。
二月六日、昨年に引き続き大般若供養の後、節分まつり豆まきを挙行致しました。百数十人ほどの老若男女がお詣りに来られお餅やお菓子を沢山拾って帰りました。来年も期待して下さい。続いて四月六日には役員研修旅行で滋賀県の臨済宗大本山永源寺へお詣りに行ってまいりました。
お寺を利用してご葬儀・法要をされるお宅が増えてまいりました。椅子を使って儀式を致しますので正座が苦手な方、またバリアフリーになっておりますので、車椅子の方にも安心してご利用いただけます。
本堂改修工事が終わった方広寺
方広寺管長猊下
葬儀祭壇の飾り付け