忍者ブログ

瑞応寺ブログ

瑞応寺だより 第11号

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

瑞応寺だより 第11号

平成26年5月10日

大本山方広寺の講社(寺務所)に『和顔愛語』(わげんあいご)という足利紫山管長が揮毫された扁額が掛かっております。「無量寿経」や「阿弥陀経」などに出てくる言葉ですが、愛語というのは言葉を飾った表面的なものでなく、心のこもったところから発せられた言葉であれば、おのずとなごやかな顔となり、それが相手に伝わるというものでしょう。愛語というのは、相手をいつくしみ、思いやる心をもつことであり、その心をもって発せられた言葉ですから、昨年話題になった「おもてなし」という言葉も、愛語が重要なことは申すまでもありません。そこには乱暴で怒りに満ちた言葉が認められるはずはありません。

純粋無垢な赤ちゃんを見ると思わず「バア!」と声を掛けたくなるものですが、ましてや自分の孫に接したときには、本当に目に入れても痛くない心になります。そんな自分に思いを返して、相手に言葉をかけたいものです。

仏教には、言語行為に「二枚舌の禁止(不両舌・離間語)」というのがあります。もともとは、ある人がAの前ではBが悪口を言っているといい、一方Bの前ではAが悪口を言っているといって、二人の仲を裂くような行為をいいます。二枚舌は前後矛盾した言葉です。

愛語とは目の前で褒めて人を喜ばせるのも大切であるが、その人のいないところでも褒めてあげると、心に深く刻まれて忘れません。他人を思いやる言葉は単にその人を褒めるだけでなく、人の心をも変えさせる力になり得ると思います。

完成した納骨堂兼永代供養堂
完成した納骨堂兼永代供養堂

二月二日大般若祈祷供養
二月二日大般若祈祷供養

三月二十六日研修旅行で一休寺を参拝致しました
三月二十六日研修旅行で一休寺を参拝致しました

死んでから仏になるは いらぬもの行きたるうちに よき人となれ  一休狂歌

  • 瑞応寺住職 森田浄圓
  • 副住職 森田祥史
  • 総代 安間義郎
  • 総代 森島慎一
  • 総代 鈴木幹雄
  • 大世話人一同
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
瑞応寺
性別:
非公開

P R