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平成26年5月10日
大本山方広寺の講社(寺務所)に『和顔愛語』(わげんあいご)という足利紫山管長が揮毫された扁額が掛かっております。「無量寿経」や「阿弥陀経」などに出てくる言葉ですが、愛語というのは言葉を飾った表面的なものでなく、心のこもったところから発せられた言葉であれば、おのずとなごやかな顔となり、それが相手に伝わるというものでしょう。愛語というのは、相手をいつくしみ、思いやる心をもつことであり、その心をもって発せられた言葉ですから、昨年話題になった「おもてなし」という言葉も、愛語が重要なことは申すまでもありません。そこには乱暴で怒りに満ちた言葉が認められるはずはありません。
純粋無垢な赤ちゃんを見ると思わず「バア!」と声を掛けたくなるものですが、ましてや自分の孫に接したときには、本当に目に入れても痛くない心になります。そんな自分に思いを返して、相手に言葉をかけたいものです。
仏教には、言語行為に「二枚舌の禁止(不両舌・離間語)」というのがあります。もともとは、ある人がAの前ではBが悪口を言っているといい、一方Bの前ではAが悪口を言っているといって、二人の仲を裂くような行為をいいます。二枚舌は前後矛盾した言葉です。
愛語とは目の前で褒めて人を喜ばせるのも大切であるが、その人のいないところでも褒めてあげると、心に深く刻まれて忘れません。他人を思いやる言葉は単にその人を褒めるだけでなく、人の心をも変えさせる力になり得ると思います。
完成した納骨堂兼永代供養堂
二月二日大般若祈祷供養
三月二十六日研修旅行で一休寺を参拝致しました
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